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福岡市南区で歯の治療を受けるなら、平岡歯科クリニックへ

院長紹介

はじめまして。平岡歯科クリニック院長の平岡貴紀です。当院のホームページをご覧いただきありがとうございます。平成18年に、ここ福岡市南区大橋に開業して早くも10年以上が経ちました。今では本当に沢山の地域の方にお越し頂く歯科医院になり、大変ありがたく思っております。

このページでは私の生い立ちや、歯医者を目指すことになったきっかけなどをお話したいと思います。

徳島県の田舎育ち。家族が精一杯働く姿をみて育ちました。

私は徳島の田舎町に男3人兄弟の末っ子として生まれました。 家は祖父の代から歯科医院を営んでおり、また同じ建物の中で祖母と母は薬局をしていました。毎日両親や祖父母が忙しく働く姿を見ながら育ちました。

保育園、幼稚園、小学校低学年までは気管支が弱かったせいで学校に通えない日もありました。 夜中に体調が悪くなることが多く、そんな時は母が私の病気の介抱をしてくれていました。夜通し私の面倒をみて、朝には薬局で仕事をする母の背中は本当にたくましく、心からありがたかったです。

小学校高学年になった頃にはスポーツが出来るようになりました。 走ることが好きだったこともあり、父の勧めで野球を始めました。 この時代の小学生はスポーツと言えば、ほとんどが野球でした!  病弱だった私が信じられないくらい野球に打ち込み、気が付くとすごく体力がついて沢山ホームランを打てるほどに成長しました。

高校生になるとテニスやゴルフにも興味をもち、またバンドに憧れてエレキギターを練習したりもしました。 バンドをしていた頃の自分は、よく周りからは「今は想像がつかない」と言われます(笑)。でも当時の高校男児(私)にとってバンドマンは本当にカッコよくて憧れだったんですよ。

祖父や父と同じ、歯科医師になる道を選ぶことに

祖父や父が歯科医療に日々奮闘する姿を見て育った私が「自分も歯科医師として患者様のために働きたい」と思うのはごく自然な流れでした。

ただ、ここで大きな転機となったのは生まれ育った徳島県を出て、当時の私にとっては大都会だった福岡県の歯科大学に入学したことです。そのとき18歳でしたが、お恥ずかしながら田舎で育った私は電車も地下鉄も初体験で(私の実家の最寄駅には汽車しか通っていませんから)天神や博多駅の人の多さに驚いた記憶があります。

歯科大学では多くの友人や先生に恵まれて本当に楽しく学生生活を送りました。サークルはテニス部。学校でみっちり学んだあとはテニスコートで真っ黒に日焼けしながらテニスに打ち込み、4年生の時にはキャプテンになりました。

卒業後は、麻酔科そして高齢障害者歯科でさらに学びました

歯科大を卒業してからは麻酔科へ進み、そこでは病院で行われる全身麻酔や腰椎麻酔、鎮静麻酔を学ぶことができました。北九州の小倉記念病院に半年、熊本の病院で半年間の研修を積み、また福岡市内の総合病院では非常勤で勤務し、麻酔の技術を高めていきました。

その後、高齢・障害者歯科へ進み、これから日本も高齢化になっていく中で自分が歯科医師として何ができるのかを模索しながら歯科と全身疾患についてや、持病がある方への治療について多くを学びました。

平成18年、大橋に「平岡歯科クリニック」開業。これから

いくつかの一般歯科で勤務医として経験を積み、ついに平成18年、福岡市南区大橋に「平岡歯科クリニック」を開業する事ができました。今まで色んな知識や技術を身に着けてきましたが実際に開業するとまだ自分に足りない部分に気が付くことも多く、より高いレベルでの治療を目指して今までずっと学び続けてきました。医院の規模としては開業時スタッフ数2名からスタートした当院も、今や10名を超す有能なスタッフが当院を支えてくれています。このスタッフ達とのチームワークのおかげで高い医療技術を実践する事ができています。これからも歯科医業を天職として真摯に患者様と向き合っていきますので よろしくお願いいたします。

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